おじいちゃんの話

毎年おじいちゃんチに泊まりに行っていた。
小道を登っていくと曲がり角に大きな柿の木。
一番奥の茅葺きの屋根の家がおじいちゃんチだ。
涼しい縁側でタケトンボを作ってくれたり、ハーモニカを吹いてくれた。 そして毎年おじいちゃんの話が始まる…

昭和20年8月7日…被爆した甥を探しに原爆投下された広島市内を歩き回る…地獄の街…一人の瀕死の男の子が…
「おじちゃん、水をちょうだい…」
…大火傷の人に水を飲ませたら死ぬと…でも…水筒から水を飲ませてあげた…
「おいしい」とニッコリ笑った。
そして…
「おじちゃん、絶対絶対アメリカ兵をやっつけてね」と。
甥は見つからなかった…

戦後、町内の人はみなGGQ関係の仕事に就き収入も良かったのに、祖父は断固として行かなかった。
原爆の放射能で身体も蝕まれていたのに、「原爆手帳なんか絶対にもらわん」断固として受けなかった
…あの男の子の声が耳から離れんのじゃ…
父親の収入がなく、しかも病気がちだったため、子供だった私の母は、本当に大変だったという…
戦後65年…
遠い昔のような気がしていたけれど、たった65年しかたっていない。
戦争の悲惨さを話してくれたおじいちゃんの平和への思いを受け継いでいかなければと思う。